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総選決定前夜 1967 初夏 —ある日のスケッチ— 

風のむこうがわ1967 初夏ーある日のスケッチーピキと少年  

 

松野  亙  作

内記 和正  画

 

伝統 —

    1.系統をうけ伝えること。またうけ伝えた系統。

    2.伝承に同じ。また、特にそのうちの精神的核心または脈絡 traditione

    3.伝統主義。旧来の伝統を尊重し、改革に反対する主義。

                                 『広辞苑』

 

 

1

都立大卒、山梨時事新聞社入社二年目の佐藤志郎は、『県内の伝統校』というコラムを担当することになり、初回は母校の一高と決めていたが、その前に「伝統」について改めて考えていた。

1967年(昭和42年)初夏。百石町の下宿先。座卓にひろげた原稿用紙としばらく睨み合いが続き、休戦状態で鉛筆をくわえ、頭を抱え込むとそのまま仰向けに寝転んだ。「伝統」の視座から切り口を探す。見据えた杉の天井の板目がさざ波のように、まとまりかける考えをさらってゆく。

伝統って何だ?教育の場で使用される伝統という言葉は、具体的な形体をそれと指して云う場合は少なく、むしろ目一杯、抽象的な概念の網をこちらに被せてくるような使われ方をする。

生徒の意識に伝統の明確な形がある訳ではない。ある種の心構えを要求する意図があり、概念の枠組みのない生徒に何をどう理解させるのか?その点、実質的な手引きはない。

「山梨が誇る伝統校の生徒として自覚をもち……」一高の入学時、壇上の何人かの口から聞かされたステレオタイプのフレーズ。

以後、事ある毎に何度となく耳にした二文字。正直な話、三年間、余り自覚もないまま過ごした。

確かに県下一の進学校に通っている自負心はあったにせよ……だ。

「日本の伝統工芸は近代化の波にかき消され……」TVなどで耳にするこちらの伝統は、永年にわたる技術の集大成を意味するが、その伝承されたノウハウが崩壊する危機的状況を伝える時の常套的用法だ。意味するところはマスプロに対するマイノリティ。いつも報道関係者の危惧や警告の響きを含んでいる。

 

 

2

志郎カット

「シローいる?」返事をする前に開いたドア。白いフレアースカート、ブルーの半袖サマーセーター。小脇に数册の本と濃紺のカーディガンの朝子が立っている。千葉大を卒業後、甲府へ戻り西中の教諭になった木村朝子。昨年、中学生集団暴力事件の取材時に、一高卒業後五年ぶりに再会していた。

コットンのセーターに包まれた形のいい胸ごしに朝子の笑顔を、寝転んだ位置から見上げるかっこうとなった。半開の窓から、開かれたドアに向けて初夏の爽やかな風が吹き抜ける。ついでに軽い生地のスカートを跳ね上げる。慌てて裾を片手で押さえた彼女の顔から笑みが消え、キッと睨みつけられた。

急いで飛び起き、正座した志郎の顔を探るように「見えた?」。正視した彼女の顔に、一瞬の映像が重なる。首を横に強く振ったが、口元は緩む。

「あっ!見えたンだ!」ドアを後ろ手に閉めた彼女は黙ったまま上がり込み、座って仏頂面を決めている。

「ごめん」(俺が悪いのか?)

「そんなところに寝ているから……」言いかけた言葉のあとが続かず、自分を覗き込むようにしていた志郎と目が遭うと「まッ!いいかッ!」と微笑んだ。

「で、なに?」

「あっ、大輪君が進路指導のことで内密に話があるンだって」「おおわ?北中の先生になった、大輪 至?」教諭になった今も山梨大学の研究生でいる熱心なヤツ。朝子へ一高時代にラブレターを一ヶ月間、毎日送り続けたホットな奴。

彼とも昨年、同じ事件の取材時に再会をはたしていた。東西南北の中学四校の二年生、総勢六十余名が荒川の河川敷を舞台に素手の大乱闘をやらかした事件だ。本人たち曰く『荒川の決闘』である。

飯田河原の決戦。永正十七年、今川の軍勢一万五千を寡勢二千の手兵で迎え撃ち、これを打ち破った武田の戦い。戦国時代の古戦場を選んだのは多分偶然だろうが、取材が進むにつれ見えてきた乱闘の原因を多くの当事者達が知らなかったと云う事実に、おもわず吹き出したのを憶えている。

「そう。久しぶりでしょ。一緒に行こッ。」

「俺が?なんで?」

「なんでも!」

朝子の中では既に決定事項になっているらしい。

悩みのテーマ「伝統」の迷路から一時離脱できること、それに二人の密談?が甘い雰囲気にならないように目付役といった妙な気分で、チノーズの綿パンにオックスフォード地のボタンダウン、VANのスウィングトップをはおり、素足にリーガルのローファを履く。

生粋のアイビースタイル。並んで歩く二人は、さながら『メンズクラブ』のワンショットだ。

「ねぇ、おぼえてる?小学生の頃、夏になると夜、富士銀行の壁にたくさんのバッタがいて、みんなで採りに行ったよね」

四つ角で朝子が右手で指した方向とは逆の春日小学校と穴切神社のちょうど中間に、彼女の家がある。下校の時春日小の校門から左右に分かれるのが子供心にもひどく詰らないと思ったものだ。

「小学生の時、ここへ活字を拾いにきたンだよ」

志郎が指したのは、既に甲府駅北口へメディアの要塞を築いた山梨日日新聞社の跡地。県立図書館が県庁の敷地内から移転することになっている。

「何をするために活字を?」。「あッ!アレ、活字で作ったの?すごいっ」言葉の終わりの「すごいっ」は、語気もイントネーションも少女時代と少しも変っていない。志郎はなぜかほっとする。

—アレ—そう、アレ。例の鉄人28号。鉛鋳造のフィギュァ。横山光輝作、人気マンガのキャラクターだ。空缶に拾い集めた鉛の活字を入れ、七輪の練炭で溶かす。ドロドロと融けた活字を油粘土用の型に流すのだが、温度差が大きすぎて、しばしば型枠が割れてしまう。かなり危険な作業を小学生が個々にしていたのである。過保護になった当今、こんな作業を見れば教師も親も目を剥いて悲鳴をあげるだろう。もっとも練炭自体も見かけなくなったが……。

橘公園を過ぎ、旧名画座の角を右折して平和通りへ出る。子供クラブのクリスマス映画会に『マタンゴ』をここで見た。

古い話だ。

難破した船の乗組員が、無人島でキノコを食べるのだが、その後キノコ人間―マタンゴ―になり、人を襲う。やがて死んでゆく。ただ一人の生存者が、その恐怖を伝えるかたちで物語が進み、クライマックスで振り向いた主人公の半身が、マタンゴになっている。という伝統的な語り部手法の映画だが、この業界の『伝統』はやがて『斬新』に取って代わられる運命であろう。とすると『伝統』とは形を変えて進化するものか……。創造世界の伝統はおよそ否定の形で継承される。

彼女はマタンゴを観ただろうか?

 

 

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商品名 短編小説
タイトル 総選決定前夜 1967 初夏 ―ある日のスケッチ—
ファイル形式 PDFファイル
対応アプリケーション Adobe Acrobat Reader(フリーソフト)など
サイズ A4
ページ数 12ページ
価格 無料

 

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