風のむこうがわ|1967 初夏ーある日のスケッチー|ピキと少年
終戦から3年。1948年(昭和23年)故本田宗一郎が本田技研工業(株)を設立。1953年から「富士登山レース」や「浅間火山レース」など国内レースが、戦後の復興に湧く日本中の若者を巻き込んで盛んに行われるようになった。スズキ、ヤマハなどが優勝。
1959年、大きなレースで遅れをとっていたホンダは当時の世界最高峰レース、イギリスのマン島TT(ツーリングトロフィー)レースに社長の至上命令によって、社員一丸となって参加。初参加にして6、7、8、11位に入賞。メーカーチーム賞を獲得し世界の注目を集めた。翌年からスズキ、ヤマハも参戦し、いずれも好成績を納める。初出場から5、6年後にはヨーロッパのレースで日本のメーカーチームは連戦連勝するようになる。やがてカワサキも参戦し日本勢の連勝状態は現在も続いている。
世界一の技術を誇る日本。しかし日本の各メーカーチームのメインライダーは外国人に頼っている。
イングランドの国内ロードレース。最終コーナーを立ち上がってくる二台のマシン。
世界での活躍を期待されたチームウルヴァリンのマイケルとカゼ。何者かが仕掛けた爆薬によってフィニッシュ寸前での大破、即死。ファーストライダーマイケルの死から数日後、自殺した日本人の天才メカニック。行方不明のセカンドライダー、カゼ。栄光を手にするはずだったチームウルヴァリン。チーム責任者は、世界最古であり世界最大のレースであるマン島TTにおいて1959年のチャンピオン、F.コネリー。その1959年という年は日本のホンダが初めて世界のレースに参戦し、世界が日本に驚愕した年である。各国の報道関係者の間では「ニホン?マシンの名前か?メーカー名?まさか国名?国ならばどこにある?」と沸き立った。
戦後14年目だというのに、ヨーロッパでの日本は知名度0だった。
現代の日本。ロードレース世界選手権アジア支部会長の美しい令嬢が、新方式のレースを提案。モーターレースが圧倒的な支持を得るヨーロッパで、この提案が大歓迎された。
日本の片田舎。アーミーザックを肩に薄汚れた青年が現れる。行き先は小さなバイク店。仕事をリタイアした父に代わってバイクを扱う、兄を自殺で亡くした娘がいた。
商品名 | シナリオ |
タイトル | 風のむこうがわ 第1話『不審な男が町にやってきた』 |
内容 | 1時間もの連続ドラマ1クール分、全10話を想定したシナリオ。第1話のみ時間拡大バージョン。 |
ファイル形式 | PDFファイル |
対応アプリケーション | Adobe Acrobat Reader(フリーソフト)など |
サイズ | B5 |
ページ数 | 56ページ |
価格 | 300円 |
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